おわった!


テスト終わったぉー
・・・地学だけ結果が分かってるんですけど、ちょっとショックなんですよ、
学年トップに1点負けました・・・!今まで負けたことなかったのに!キィ!!!
期末で挽回してやるー。今回は日程が悪すぎた!!!



最近なんかこんなことばっか言っててちょっと自分でもこんなにあたしって考えてることダークだったんだなぁって思うんですけど、
今日思ったことは、「みんなで」ていう言葉について。
あたしは、平等だとか、みんなでやる、ということに大して物凄く慎重でそれでいて理想を捨てきれずに居るガキなんですけど、
「みんなでやろうよ」と、1つのことを提示したときに、その提案者は、
それが1人に向けられるものであるなら、その機会は皆に平等であるかということを考えなければいけないと思うのですよ。
例えば、誕生日パーティーだとか、そういったもの。
関係ない人を誘えとか言ってるんではなく、ある程度の仲間内でそういうことをやろうという提案が出ることに異議があるのではなく(そこには美しいものがあるとは思っていますが)、そこに平等性はあるのか、ということが気になる人間なんです。
そんなの、気にしなければいいじゃない、なんて言うでしょう。
でも、その機会が平等に回ってこないひと、例えば先ほどの例で言うならば試験中であったり、もう過ぎてしまった人だったりと言う人には、少なからず悲しみだったり寂しさだったりといったものは残るわけです。気にしないと言っていても、きっと多少はあるでしょう。
そこには、感情の平等性がない。
だからあたしは、みんなでと言うのなら徹底的な平等性を望みます。


ていうのがね、今日考えてた事なの。
あたしは間違ってるんだろーか。そんな顔をされなきゃいけないほど、悪いことを言っているんだろーか。
みんなに平等に機会が訪れないのなら、一瞬の楽しさの後に訪れるのは妬みや嫉みや悲しみだと。
だからやめておけ、というのがそんなに悪いことでしょうか。
少なくとも、みんなで、て言う単語は使わないで欲しかったなぁ。
そこまで考えられないのなら、そんなんやる資格ないよ。




さて、寝ようかなぁ。
明日部活行くの本当に嫌だ。